ディテールはそれはもう気持ち悪くて、せっかく晩御飯に食べたケンタッキーのクリスマスディナーセットを戻しそうになるから書かないが、このような男がノーベル賞をもらっていいのだろうか。
私は彼からノーベル賞を剥奪すべきだと思う。このような変態の彼を支えたのは誰であろうか。そう、また朝日新聞を代表とする例の団塊の世代たちだ。
彼らはこれまで日本社会にぶら下がり、これからもぶら下がろうとする。彼らは何もしないで回りの様子をみてそれと同じことをするのが特徴だ。
そのため彼らが働き盛りで財力もある程度ついた40代、50代の頃、普通だったら独立してベンチャーを始めて、そのおかげで新しい産業が隆盛するはずなのだが、彼らはしなかった。日本には何の新しい産業も生まれなかった。1990年代後半から世界中が総じて景気が良い時期に(アジア通貨危機やエンロンなどの大波もあったが)、日本だけが沈没していたのは彼らの不作為のせいだ。
彼らの子どももまたひどかった。引きこもりだの、残虐な児童の殺害だのを始めたのは彼らの子どもたちだ。
ひどかったという過去形でなく、団塊の世代は子どもに殺されたり、子どもを殺したり、はては老人犯罪という社会的キーワードになるようなことをしている。
私も老人の多い都内の町で団塊の乗る自転車がちりんちりん横暴に歩道をつっ走りながら、そのまま前にいた車椅子に乗っていた全く身動きのとれない80歳ぐらいのおばあちゃんに突っ込んでいき、救急車が来たのを目撃した。
しかも彼らは困ったことに自分たちが知的だと思っていた。朝日新聞を読む人間のどこが知的かは、私たちアラフォー世代には全く理解できないがそんなことを言っても馬耳東風だ。
周辺も彼らの演技にだまされていた。金融界は彼らが大量にリタイヤすれば、旅行や証券商品に金を出すと思っていた。
団塊リタイヤ組を獲得するための大規模なキャンペーンを張ったところも多かった。
ところがどっこい、そうはならなかった。彼らは金を持ってなかった。毎日のくだらない飲み会や意味なく体を破壊するタバコ代のせいですってんてん。当ては外れてさっさとキャンペーンは取り下げられた。
『下流社会』を書いた三浦展は『団塊世代の戦後史 (文春文庫)』のなかで言っている。これだけ社会にぶら下がり迷惑をかけてきた団塊世代の罪が許されるためには、彼らは自分の金で小さい会社を起業し、必ず自分の子どもの世代に当たる氷河期世代の若者を一人雇い給料を払い続けなければならないと。
これらはすばらしい提案だが、残念ながら団塊世代は金がなかった。彼らは今どこにいるのだろう。公営図書館である。図書館という税金で運営されている資源を彼らが無駄遣いしている。本を買う金もない。CDを買う金もない。左翼に、組合に、企業に、野党にパラサイトして挙句の果てに図書館にパラサイトしている。
しかしアラフォー世代(男女)はこれ以上の彼らのパラサイトを許さないだろう。アラフォー世代の両親は戦中小学生だった人が多い。彼らは苦労したから年金を受け取っても良い。しかし、団塊パラサイトには年金はないだろう。
何せ私たちは夜の校舎窓ガラス壊して回った世代だから、社会制度を変革したくてしょうがない。
朝日新聞が巨額の赤字を抱えるようになった。
時代は変った。これから日本はまともになっていくのだろう。
というわけで第17位の発表です。
【第17位】
Undercurrent. Bill Evans/Jim Hall. Bluenote.
Undercurrent
[スイングジャーナル誌93位]
このアルバムのジャケットを美しいと思う人もいるようですが、私としては、大江健三郎のあの小説を思い出してしまい、いまいちの気分です。
演奏しているのはアランフェス交響曲のジムホールとビルエヴァンスです。しかもドラムもベースもありません。
うーん、一体どういう音なんだろ、ピアノとギターは水と油のようなもんじゃないのかな。
そうです、悲しいことに、ピアノがあればギターは要らないのです。ジャズのアルバムにギターが入っていることは滅多にないのです。
どりゃどりゃ、その火と油がどう混ざるのか聴いてみよう。
うーん、いや、うーん、アランフェス交響曲のジムホールだから期待したんですが、これはうまく表現できません。一つ分かるのは、やっぱりビルエヴァンスは、Sunday at the Village Vanguard(12月9日記事)に書いたとおり、右手がつまらない人だということです。その右手でメロディーを弾くはずの部分をジムホールに譲ってメロディーを弾いてもらっているつもりです。
しかしジムホールさんも譲られても困っていて、ベヨーンとかミニョーンとか白玉単音を弾いているだけで効果的ではありません。
ジムホールがバッキングをすると、しまった俺のところを取られたとばかりにビルエヴァンスも伴奏を始めます。
困ったもんです。息が合いません。CDの中ジャケットに二人が写っている写真がありますが、ジムホールが困った顔をして頭を掻いています。何かほほえましいです。
結局、ギターとピアノが息もつかせぬ駆け引きをやるようになるにはフュージョンが完成の域に達するまで、ここから相当待たなければいけないです。
しかし、過渡期というか、ただ今実験中のような二人の努力はほのぼのとしています。
曲調としては5曲目Skating in Central Park以外はほとんど耳に残りません。音がないとさびしいけど余り注意深く聴きたくない。仕事の後ろで軽く流れていればいい。そういうジャズの聴き方もあると思います。そんな方にはこのアルバムは最適です。
*もう第一回の発表が終わりに近づいてきましたので、ブログの中にまとめの表を作りました。残るは後三枚だけですね。


